
トレーナー冥利に尽きました
- hiroya oshima
- 1 時間前
- 読了時間: 3分
中学生三年生のころ
運動部が県内でも特に強い学校で、ほぼ全ての部活が中体連で優勝し、全校集会で優勝旗を掲げる中
自分の剣道部は一度も優勝したことが無かった
全国常連のクラスメイト「いいだっちょ」は、いつも成長痛や怪我に悩まされていた
彼は中3で背が190位あったし、バレーボールのスカウトが全国からくるスター選手だった
僕はそんな時、初めて出来た彼女のことで悩んでいた
何に悩んでいたかは具体的には覚えていない
当時の悩みなんてそんなもんだろう
そんなこんなで友達との悩みのレベルの違いと全国制覇という自分の剣道の夢にかすりもしない実力無さに気付いた僕は
僕は主役じゃなく、裏方で活躍する大人になろう
と子供ながらに思った
そして、いつも悩んでいる友達を助けてあげたかった
そんな夢をちゃんと高校生の時にもずっと持ち続けていた
そして、高校では剣道も頑張って色んな大会で入賞やら優勝やらしながら大学の模試を受けていた
頭は良く無かったが「スポーツ科学部」があるという理由で
早稲田大学と
順天堂大学と
大阪体育大学の
名前を書いていた
模試の判定は×と×とEだった
最初の二校はミスだと思ったら、担任から
模試でふざけるなと怒られた
ふざけてはなかった
本当に志望校だった
だが現実を知った僕は
諦めなかった
勉強では入れないなら剣道で入ろうと思った
結果、早稲田も順天堂も行かなかったが
運良く新しく入った部活のコーチに福岡大学から誰がいい生徒はいないかと問い合わせがあった
調べたこともなかったが福岡大学にはスポーツ科学部があったので試験を受けた
結果推薦で誰よりも早く進路が決まった
担任にはなんでお前が1番進路決定が早いんだと怒られた
どうやら担任は僕のことが嫌いのようだった
そんなこんなで、裏方への夢に一歩近づいていた僕はたまたまテレビで大スター清原和博選手のドキュメンタリーを見た
ストーリーテラーは東山さんがやっていた「バースデイ」だった
復活を目指す清原さんに「キヨッ!もっとやんなきゃダメだよ!」と、名前を呼び捨てし、叱咤している黒グラサンの黒キャップ、黒スーツのマッチョがいた
のちに僕のボスになるトータルワークアウトのケビン山崎だった
かっこよすぎて衝撃だった
裏方だと思っていた仕事は主役の選手を引っ張る役目で、選手がリスペクトする相手でなければダメな仕事なんだと思った
それで僕は、ケビン山崎になりたいと思った
そのケビン山崎はパーソナルトレーナーという職業を日本に初めてもってきた人物だった
今ではたくさん活躍するパーソナルトレーナーさんや裏方さんでメディアに出てる人もいる
だがしかし、今だにあれだけカリスマ性があって、ブランディングがしっかり出来ていて、言葉に一貫性のある人はケビンさんしか見たことがない
そして僕はケビンさんを目指してトレーナーになり、20年が経った
その20年で今日はじめて思ったこと
トレーナーになって、人の役に立てて良かった
トレーナーになって学んだ「知識、やる気、楽しさ」を毎日積み重ねてきて、今までたくさんやってきたお客様から学ばせてもらって、ようやくあの時の初期衝動が間違っていなかった。と実感できた
誰よりもLIVEを楽しんでいた私達のスターを見て
とても嬉しかった
その人を.その人の人生を
そしてその人を見る私達の人生の役に立てて良かった
これがトレーナー冥利
これだからトレーナーは辞められない


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